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トラクト - 配布ための短い聖書のメッセージ

トラクト 10 -- わたしについて来なさい! (マタイの福音書 9:9)


正規の航空会社を利用して遠く離れた国へ飛行をする者は誰でも、着陸の後に小さい車が彼らの航空機の方へ急いでやって来てその前で止まる事を、見る事ができます。その車は、搭乗者が降りる場所へとゆっくりと運転して行きます。この小さな車の屋根に、“わたしについて来なさい”と大文字で書かれた大きなサインがあるのを見る事ができます。

2000年前に、この“わたしについて来なさい”という言いまわしを始めた人は、キリスト、即ちマリヤの子でした。彼はナザレの山々から来て、ヨルダン川の深い谷へと下って行き、テベリヤ湖の近くの地方まで行きました。キリストは、カペナウムという多くの道路が交差する地域に落ち着きました。そこで、キリストは、彼の所に来た全ての病人を癒しました。キリストは、罪人にその悪の行いから悔い改めるように言い、そして慰めとなる福音を彼らに明らかにしました。打ちひしがれた者や障がいを負ったものが、あらゆる所から彼の所へ来ました。真実を知りたい全ての者が、近くからも遠くからもやって来ました。彼らは全て、驚くべき奇跡を行う事ができるこの比類のない男を見たかったのです。彼らは、神聖なる力、導きそして安堵を彼のことばの中に見出しました。

この地区に、マタイという名の取税人が住んでいました。彼はローマ帝国の占領権力の役人でした。彼は、旅行者や貿易品を運ぶ全ての者から、ローマ人の為に関税を徴収していました。彼の同胞であるユダヤ人達は、ローマ人を助けている事に対して彼を罵っており、そして彼を憎んでいました。なぜならば、彼は、自分が欲しいできる限りの税金を徴収していたからです。彼は、旅行者達のごまかしを知っていました。そして商人の商品の隠し場所を暴いて、彼らに関税を支払うように強要していました。関税を支払う事は、誰も好きではありません。しかしマタイは賢く、抜け目のない経験によって、多くのお金を取り入れる事ができました。

しかし、この税関の役人は、得た富にも関わらず、彼の同胞からの拒絶の苦しみを味わっていました。彼の良心が彼を悩ませました。そして、彼はその不誠実な利得に対する赦しを見つけ、金銭愛から自由になりたかったのです。彼は、自分を憎む人々の憎しみを克服する事を切望しました。そして、汚れのない心による平安な人生を待ち焦がれました。

彼が街に定住していたイエスの事について聞いた後に、彼は自分が必要としている助けをイエスから得る望みを持ち、急いでイエスを見たくなりました。マタイは神との、そして人々との平安を探し求めていました。しかし役人として、彼は公的に、ナザレからのこの魅力的な男の所へ行くことはできませんでした。しかし、イエスのことばやイエスがしていた事から彼が聞いた事が、彼の中により多くの希望、そして二人きりでイエスに会いたい切望を生み出しました。

キリストは、心の考えを理解し読み取る事ができます。キリストは、この軽蔑された税関の役人の心の中の深刻な切望を理解しました。そしてキリストの助けを受け入れる彼の準備に気付きました。ある日、キリストがその税関事務所の側を通り過ぎた時、キリストはマタイがキリストをじっと見ているのを見ました。イエスは彼の心を吟味し、悔い改めを見て、そして彼にたった一つの言い回しで命令しました、“わたしについて来なさい!”。

この税関の役人は、自分の為に神のことばを聞く事を、ずっと以前に期待していました。だから、彼がキリストのその命令を受け取った瞬間、彼は彼自身を直ちに、そして完全に、このナザレからの男に明け渡さなければならないと、認識しました。キリストの命令から、マタイは全ての街の人達から拒絶されている事実にも関わらず、この預言者は彼を軽蔑しない事、そうではなくてキリストに従う者達の交わりへと彼を受け入れる準備ができている事を、彼は理解する事ができました。この考えは、彼の頭と心を稲妻のように突き抜けました。彼は、今行動しなければならないと、瞬く間に理解しました。これが自分の人生のチャンスだ、彼は考えました。だからマタイは直ぐに立ち上がり、そして職場をもう一人の役人に引き渡し、無条件にイエスに従いました。

キリストに従った群衆は驚きました。彼らは、偉大なる癒し主がこの裏切り者を受け入れたという事実を、好みませんでした。それゆえ、イエスは彼に従う者達に、イエスに従うという事が何を意味するのかを明らかにしました。そして彼らに次のような啓示をしました。

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。”(マタイの福音書 16:24-25)

イエスは、彼の弟子達への以下のことばによって、私達全てが知り理解しなければならない7つの秘訣を説明します。

  1. 義を切望して下さい: イエスは、神の御国に入りたい全ての人を歓迎します。しかしイエス自身は、全ての人を常に彼に従うようには召し出さないでしょう。ただし、神の御国に入る、と自分自身で決めた人達は除きます。神の義を求める者、そしてイエスに従う事によって伴う困難を背負う準備ができている者は誰でも、主から召命を受ける人でしょう。
  2. あなた自身を否定しイエスの為に生きて下さい: イエスは彼に従う者達に、自己中心的な生き方から離れなければならないと、最初から言いました。彼らは、自分自身を他者よりもっと重要だと考えるべきではないです。彼らは、生活上の誘惑に反応するべきではないです。そして、この世の毎日の試みに、彼らの心と知性を向けさせるべきではないです。彼らは、イエスの為に、自らの権利から離れる事になりました。それゆえ、神の小羊に従う全ての人は、自分自身を前に押し出す事を求めるのではなくて、実質的に自分自身を否定し神の小羊を愛し仕えるでしょう。イエスは、私達を利己主義から自由にしたいのです。だから、私達はもはや私達自らの欲望を満たす為に生きるのではなく、イエスの為に生きるのです。
  3. あなた自身を吟味して悔い改めて下さい: イエスは、自分自身を義であると考えるべきではなく、自分自身を正当化するべきではない、と従う者達に言いました。むしろ逆であると言いました。即ち、彼らは神の御前において自分自身を吟味すべきであり、全ての人は、その性質に従って、悪であり腐っており十字架への磔に値すると認識すべきである、と言いました。イエスは、私達に彼の十字架を運ぶように求めませんでした。そうではなくて、私達自らの十字架を運ぶように求めました。これは、全ての罪人は神の聖さに従って自分自身を裁き、悔い改めるべきである、という事を意味します。人はその罪を主に告白すべきです。そして、名誉、評判、そして名声といったその人の想像上の人生に対する執着をなくすべきです。使徒パウロは次のように宣言しました。“私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。”(ガラテヤ人への手紙 2:20)
  4. イエスのようにあって下さい: イエスに従う者は誰でも、イエスの御声を福音の中において聞き、信仰によって彼に気付くでしょう。その者はイエスに似て行くでしょう。イエスに従う者は誰でも、自分の主の特性を認識するでしょう。そして、イエスのご計画をもっともっと理解し、イエスの前向きな力を経験するでしょう。それゆえ、イエスを信頼して従う者は、自分の救い主の生き写しへと変えられて行くでしょう。その者は、神の愛、キリストの喜び、そして聖霊の平安とは何を意味するのかを学びます。キリストの誠実さと思いやりがその者に根付くにつれて、その者は忍耐強くなり、自分自身の敵を愛するようになる事を学びます。その者は、イエスの優しさ、謙遜さ、そして自制を反映させる事を学ぶでしょう。
  5. 他の人達にイエスの事を語って下さい: キリストは、彼に従う者達を彼らの環境の中で働きへと入らせました。彼らは、キリストについて見た全ての事を、そして聖霊の実によって彼らの人生において育っている全ての事を、他の者達に証ししました。イエスを告白する全ての者は、他の聞き手達に対して永遠のいのちを申し出ます。キリストの最重要目的は、人々の状況を変える事ではありません。キリストは新しい人々を創造したいのです。そしてキリストの力を彼らの弱さの中において完璧なものとするのです。キリストは、彼の証人の人生や発言を通して、これを行います。イエスは、彼に従う者達を通して、目的を成就したいのです。もし、ぶどうの木に枝が留まっているように、彼らがイエスに留まっているならば、彼らは多くの実を結ぶでしょう。
  6. 迫害が来るでしょう: キリストの赦しや永遠のいのちの恵みを受け取る者は誰でも、内在する聖霊によって、キリストの内に宿るでしょう。その者はこの世において、よそ者になる事をしばしば経験するでしょう。友人達は彼を嘲笑い拒絶するでしょう。彼らは彼について嘘をつくかもしれませんし、彼を憎みさえもするかもしれません。イエスにも起きたように、それがイエスに従う者達にも起きる可能性があります。この世の霊は神の御霊を憎み、そして戦って来て対立して来ます。しかしキリストの愛とその祝福は、この世の罵りよりも強いのです。使徒パウロは、死から逃れて主に仕え続ける為に、街から街へと逃げなければなりませんでした。
  7. キリストは聖徒と結びついています: キリストは十字架で死んだ後に復活し、死に勝利しました。キリストは昇天しました。しかし、キリストに従う者達を迎えに来て、彼らを天国の父なる神の所に連れて行く為に、再臨するでしょう。キリストは、その誠実な下僕達を彼の後ろへと引き寄せるでしょう。だから、彼らはキリストのいる所へいるでしょう。キリストの愛と誠実さは、彼らの将来の為の保証です。イエスに従う者になるという事は、イエスが私達を代理の死によって罪から自由にし、そして裁きの日に私達を赦すであろう事を意味します。イエスは、自分自身を私達に結び付ける事によって、永遠の契約の中において、私達の品性を聖別します。イエスは、人生における誘惑を克服する為に私達を助け、彼の天の栄光に繋がる為に私達を忍耐によって支えます。

伝道者であるマタイは、キリストについていく中で、これらの異なった段階を経験しました。彼は、イエスの新しい法におけるイエスの命令を理解しました。そしてそれらを彼の心に保ち、それらを正確に書き出しました(マタイの福音書 5:1~7:29を読んで下さい)。他の使徒は、キリストのことばを集め保存するように、彼に命じました(ルカの福音書1:2)。彼は全ての福音の記述の中で一番長いものを書きました。彼は、自らの考えは書きませんでした。そうではなくて、イエスのことば、行い、そして祈りを記録しました。マタイは、彼の愛する主に対して誠実な証人であったという事が、受け入れられました。マタイが天国の新しいエルサレムの為の大切な基の石の一つになるであろう事を、私達はヨハネに対するキリストの啓示の中で読みます(ヨハネの黙示録 21:14.19-20)。

マタイは、キリストについていく為に、職場と富を置いて行きました。イエスと一緒に旅をして回るのは簡単ではありませんでした。しかし、主が彼に一日の必要物を渡すにつれて、彼は少ない物で満足する事を学びました。彼はかつて税関の監督者であり、人々に対して権力を持っていました。しかし、イエスについていく中で、彼はキリストを拒絶した偽善的な者の憎しみに耐えなければなりませんでした。彼は、イエスが身柄を確保され判決を言い渡された時、夜に他の弟子達と逃げました。

以前、マタイは被用者達に対する独立した監督者でした。しかし、イエスに従う事により、彼は従順と服従を学ばねばなりませんでした。マタイはこの世的な安全から去り、そして主の気遣いに満足する事を学びました。彼は、ローマ人と行う仕事によってのけ者にされる事で生じる孤独から去りました。そしてイエスに従う者達の交わりに入っていきました。キリストは彼をその罪から自由にし、そして彼をキリスト自らの聖さへと至らせました。主は、彼の良心の非難から、彼を助けました。だから、彼は神と人々と共に、平安に生きる事ができました。マタイは、神、神の御子、そして従う者達の愛を通した聖霊の力によって、この世の孤独から逃れました。

イエスはマタイに命令をしました、“わたしについて来なさい!”。イエスは彼に哲学者や政党について行くようには求めませんでした。しかし彼に、人間の姿をした神のみことばについていくように言いました。イエスは、彼の未来や成功の唯一の保証でした。ですから、主はマタイに対して、癒し主、聖別する者、救い主、贖い主、そして人生における力の源になりました。イエスはマタイの救い主です。裁きにおいてマタイの身代わりとして、神の小羊は死にました。ですから、マタイはイエスを信じて、そして彼の著述において、ペテロの言葉を用いて告白しました。“あなたは、生ける神の御子キリストです。”(マタイの福音書 16:16)

親愛なる読者の皆様:
あなたは、本物の深い切望により、神を待ち焦がれますか?あなたは、創造主と天の父と共に、平安に生きたいですか?そして、そのように決断しましたか?あなたはイエスについてもっと知り、そして良い日々も悪い日々もイエスの内に留まりたいですか?あなた自身を吟味して下さい。もしも、イエスがマタイに呼びかけた“わたしについて来なさい”ということばで、イエスがあなたを呼んでいるのを聞いたら、決断をしなければなりません。飛行場で大きな飛行機が小さな車についていき、そしてその小さな車はその飛行機をその正確な行き先へと導くであろう事を思い出して下さい。同様にイエスは、不信心や罪からあなたがイエスについて来るように呼んでいます。あなたの正しい行き先へとついて来るように呼んでいます。そうです、あなたの人生にとっての目的である神です。キリストについて行って下さい。あなたは満足する喜びと共に新しい人となるでしょう。そしてあなたは喜びを他の人達と分かち合うでしょう。あなたがお求めになるならば、私達はもっと霊的な創作物を無料であなたに送る準備ができています。

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